各所に衝撃をまき散らしまくる話題の映画『JOKER/ジョーカー』を観てきました。
ジョーカーと言えば、バットマンの宿敵であり、ヴィランの中のヴィランとも言うべき悪のカリスマ。
映画作品としても、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』で故ヒース・レジャーが演じた事で、世界中に熱狂的なファンを生み出したキャラクターです。
そんなジョーカーの誕生秘話を描く…
正直、ハードルが高いとかそういうレベルじゃねぇ!って話なんですが、本作は、そんな我々の期待を裏切ることなく、真正面からジョーカーに挑戦し、そして、見事成し遂げた作品です。
いつもならば極力ネタバレ無しでお届けする所なのですが、本作に関して観た後の考察がとんでも無く面白い為、少しスタイルを変えてお届けする事にしました。
全力でネタバレしているので、未だ見ていない人は必ず映画本編を観てから読むようにしてください。管理人とのお約束だぞ☆
映画ジョーカー考察
どこまでが現実でどこからが妄想なのか?
本作を語る上で、どこまでが現実で、どこからがアーサー(ジョーカーの本名)の妄想なのかはとても重要になる要素です。ここからは要素ごとに現実と妄想の境を考察していこうと思います。
幸せを感じる出来事は全て妄想
序盤のTV出演
マレー・フランクリンのテレビに出演した過去は、アーサーの憧れが生み出した妄想。
終盤、楽屋でマレーに対して「初めてだとは思えない。ずっと憧れていました。」的な台詞からもそれが読み取れます。
隣人女性との関係
エレベーターでの会話・ストーキング・ストーキングへの苦情は現実。その後の接吻・デート・母へのお見舞いは妄想。これは作中でもハッキリと妄想と表現されているシーンなので間違いありません。
そもそも、シングルマザーで必死に生きている彼女が、子供をほったらかして隣人とデートしたりするシーンは違和感がある。最初のエレベーター以外で子供がほとんど出てこないのも意図的なものを感じます。
ちなみに、デート(妄想)からの帰宅後に香水をつけていたことが分かるシーンがある。この香水が女性物なのか男性物なのかは少し気になりますね。
ウェインが父親は母親の妄想
ウェインがアーサーの父親なのはペニーの妄想。ペニーがアーサーを養子にとったのも、ウェインに取り入る為の道具である可能性が高い。
ウェインとペニーに肉体関係があったかどうかは不明だが、それも含めて妄想の可能性も十分に考えられます。
まさかのバットマンとジョーカー兄弟説には驚かされましたw
耐えられないような辛い出来事は全て現実
看板を盗まれた末のリンチ
ゴッサムの悪ガキども手慣れすぎてて怖い!
ネズミ・ゴミ問題・治安の悪さ…ゴッサムシティはマジゴッサムとしか言いようがありません。
失業
何故小児科病棟にあんなものを持ち込んでしまったのか…((+_+))
そこまで織り込み済みで銃を渡したのであれば、あの同僚は相当な策士と言える。
証券マン三人を手にかけた事
証券マン3人を手にかけた事は紛れもない事実。
それにしてもジョーカーさん、中々の射撃の腕前。逃走する男の心的行動把握もばっちりでした。
これは、普段から周りの眼を気にするジョーカーさんの処世術の一部が成した技なのかも?
銃を隠すために訪れたトイレでのダンスシーンは、アーサーの中のジョーカーが垣間見える初めてのシーンでもあり、とても印象的でした。
ハッピーは自分のハッピーを作り出す道具
信じていた母親に、実は愛されていなかったという事実。
よくよく考えると、ペニーがアーサーと呼び掛けているシーンは1回も無かったように思える。ハッピーとは、自らのハッピーを作るための道具と考えるととても辛い。
母親による虐待の傍観
恐らくアーサーは自分の障害を先天的なものと把握していたように思えるが、実はそれが虐待によるものだったという事実。様々な事の積み重ねがアーサーの善良性を破壊したのは間違いないが、これが最大の要因になったと筆者は考えています。
失うものが無くなってからは全てが現実:反転する世界
母親という名の枷を外す
病院で母親を自らのてにかける。やってる事はひどく残酷だが、差し込む光の美しさが印象的な一幕。
同僚を手にかけた事
母親のお悔やみに現れた同僚を躊躇なく手にかけるシーン。唯一優しく接してくれた同僚の事は平気で見逃す。普通の感覚なら口封じとなりそうだが、この時点で”ノックノック”する事を決めているので引かぬ媚びぬ顧みぬ状態。
マレー・フランクリンのテレビ出演
あの映像に大反響があったというのは疑問だが、テレビ出演のオファーがあったのは現実。テレビ放送でアマチュアを笑いものにするって流石に悪質。この時点では”ノックノック”で自ら幕を閉じるつもりだったが、マレーがあまりにもマレーだった為覚醒する(笑)。
ラストのアサイラムでのシーン
多くの人が一番疑問に感じたシーン。部屋を後にするジョーカーの足元に血痕がぺったりとついている為、要するにカウンセラーの女性は(;^ω^)
定かではありませんが、血痕がジョーカーの素足よりも心なしか大きく見えた。これはクラウンの靴をかたどっていて、アーサーではなくジョーカーとして歩み出したという表現なのかも?とも思いました。
真っ白な壁・窓から差し込む眩い日差し・はしゃぎ躍るジョーカー。
堕ちたはずなのに光り輝くという矛盾に満ちたエンディングが、これからのジョーカーの異常性を物語っています。
不気味な男、アーサーを表現する為の徹底された演出
終盤のジョーカーはバチバチの恰好良さ(筆者の主観)なのですが、序盤・中盤は、善良だが不気味な男である演出が徹底されています。ここも色々と思う所があったので、気になった点をピックアップしてみました。
アーサーの心境によって変化する天候・室内の明暗
自分を押し殺し、常に善良であろうとする時の天気は、雨または曇り。室内の照明は青白く暗い。
逆に、自らの本質をさらけ出し、ありのままであろうとするシーンでは快晴が多く、室内に差し込む光は眩い。
心境と天候のシンクロは恐らく意図された演出だと思いますが、これは滅茶苦茶ハマってましたね。
特に青白い照明のシーンは、アーサーとジョーカーの狭間で揺れ動く良心の炎みたいなイメージが頭を過り、とても印象的でした。
顔で笑って心で泣いて、正に表裏一体(ジョーカー)
笑いの発作にも規則性があり、ストレスや不安が臨界点を越えると発生します。
アーサーが笑っている=不安・悲しみ・怒りを感じている時であり、顔で笑って心で泣いて、その様は正にジョーカー(表裏一体)。
ただし、全てがその規則性に則っている訳ではなく、明らかに演出で笑っているシーンもあります。
クラウン仲間の同僚が同僚を小馬鹿にするシーンでは、明らかに同調したワザとらしい笑い声をあげています。
善良で優しいアーサー的にはストレスを感じる対象であってもおかしくはありませんが、これは既に日常化していて、発作が起こる程のストレス起点ではなくなっていると筆者は考えました。
しかし、相手を小馬鹿にする・笑い者にするというアーサーのタブーに触れている為、笑う事で怒りを表現している。
元々笑いのポイントにズレが生じているアーサーが、コメディアンとして大成する為のすり寄せ(努力)と取る事も出来ますが、上司に呼ばれた際の廊下を曲がった時の表情を考えると、やはり怒りの感情を腹に据えているように思えます。
ホアキン・フェニックスの徹底した体作り
靴を解すシーンで長めに背中を映す描写がありますが、あのシーンのインパクト凄いですよね。
あのシーンだけで、異常に痩せている・骨ばっている・不健康そうな男である事が印象付けられます。
噂によると24キロも体重を落としたらしいですが…(半端ねぇ)。
何度も観て考察したくなる。心に刺さる強烈な映画
福祉サービスが打ち切られて投薬がストップした時点から、全てはアーサーの妄想という考察もあるようですが、ジョーカーだけでなくバットマン誕生のエピソードまで含めている時点で、それは無いんじゃないでしょうか?
到底共感する余地が無いと思っていた悪のカリスマを身近に感じ、現実と創作を融和させた風刺性の高い作品です。
好き嫌いはハッキリと分かれる作風だとは思いますが、映像美・プロットの完成度・配役・音楽効果など、何度も劇場に足を運ぶ価値のある映画だと筆者は感じました。
追伸:上映終了の瞬間、「ゴッサムが死んで僕らは生まれた」という言葉が脳裏に浮かびました。あくまで主役はジョーカーですが、バットマンのルーツもきっちり織り込んでいる(ジョーカーとバットマンは表裏一体の存在)辺り、本当にうまいですよね。
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